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ヴェルレーヌの詩に寄せる三楽章 について

 

   1.   空    Le Ciel

   2. 巷にふる雨  II Pieure dans mon Coeur

   3.マンドリーヌ  Mandoline


Paul Verlaine   三 つ の 詩

1. 空    Le Ciel

空は屋根の向うに  あんなにも青く  静かです
一本の樹が  屋根の向うに  手のひらをゆすっています
いま見えるあの空に  鐘の音が静かに渡り
いま見えるあの樹の上に  一羽の鳥が嘆きのうたを唄っています
おお!  そこにたえまなく泣いているおまえ  どうしてしまった
お言い!  そこにいるおまえ  おまえの青春をどうしてしまった?


2.巷にふる雨  lipIpe dans mon Coo

巷に雨がふるように  僕の心に涙ふる
何だろう  この物憂さは  しとしとと心のうちに忍び入る
おお./  雨の音
地上にも  立ち並ぶ屋根の上にも  この倦怠の心には
雨のうた  おお 静かなひびき
いわれなく涙ふり  いわれなくしめっける僕の心よ
何という?  裏切りはないというのだネ
いわれなく  喪に沈む僕の心よ
-番悪い苦しみは  いわれも知れぬ身のいたみ
恋もなく 憎しみもないというのに
僕の心は  こんなにも苦しみに満ちている


3. マンドリーヌ    Mandoline

セレナード奏でる男たち  美しく耳傾ける女たち
さやとふる小技の下で 色あせた言葉をかわす
これはチルシス  あれはァマント
これは永遠に  若やぐクリタンドル  あれはダミス
つれない女千人に  やさしいうたを書き送る
男らの短い絹の上衣が  女らの裾長くひらく衣裳が
彼らの優雅さ  彼らの喜び  彼らの柔らかな青い影が
バラ色の  灰色の  月の晄膝と照るなかにうずまいて
微風のわななく中に  マンドリンさんざめき鳴る



(作曲者自身による解説)

私は青春の頃からヴェルレーヌの詩を愛読した。しかし、ヴェルレーヌの、
孤独--抵抗ーー嘆きなど、深い感懐など理解する力もなく、だだ詩の“韻,,
に溺れていたに過ぎない。第一楽章の“空,.がそれを物語っている。

ーー屋根の上に拡がる大空ーープラタナスの梢を渡る静かな鐘の音ーーそれ
が全部でかんじんのーー神よ/あれが人生なのか?ーー静かに見えているこれ
がノ?ーーと言う懐疑には少しも触れていない。

この“空"は1926年、オルケストラ・シンフォニカ・“タケィ"の第一回作
曲コンゴルソに出し、運よく入賞はしたが「これが果してヴェルレーヌのそれ
を表現しているかは疑問である」と厳しい批判を受けている。

第二の“巷にふる雨,,は1961年、約40年ぶにリマンドリン楽界に復帰してか
らの作品で、これはどうやら文字を離れ、揺れ動く感情だけを追及したが、そ
うしたイデーの貧困とは別に、年令の隔たりを強く感じるばかりであった。

第三の“マンドリーヌ"も巷にふる雨に続いて書いたが、これはあの詩がも
つ、つややかしきーー情趣そして退廃的なムードにひたりきって、意識してシ
ャンソンのニュアンスを取り入れ素直に書いたが、以上をくらべると、私自
身、第二楽章がいちばん好きな作品になった。

大体、ヴェルレーヌの詩に奇せた作品はたいへん多く、ドビュッシー、ラベル、
コダーイ、etc.………それぞれ優れたものばかりである。それなのに私がおこが
ましく書いたのは、キラキラしい美しさの反面、グルrミーな陰影をもつマンドリ
ン合奏の響きに制作欲をそそられたこともあるが、もうひとつ、遥かになった青春
を醸しむ心のあらわれであるかも知れない。

(鈴木記 1966 May)

(第62回定演パンフより)

私の思い出

私も第2楽章が好きでした。この作品は、鈴木静一作品の叙情を表現する代表作だと
思います。マンドリンがやさしい女性コーラスの唄声と同じだと感じたのもこの作品でした

ナレーションとマンドリンが一体と成ったすばらしい曲です。

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